一週間後に母が日本から私の出産/産後の助けに来てくれる。
二つ年上の兄には既に子供が3人いるので、母にとっては最初の孫ではないけれど、娘の子供というのは、また違った思いがあるらしく、アメリカでの一ヶ月に及ぶ生活を含め、とても楽しみにしているということを周囲の人から聞かされた。 予定では5週間の滞在予定で、最後の一週間は父も来て、二人一緒に帰国予定。 私が渡米してから9年近く経ち、母と一緒に過ごした時間は昨年春のハワイ旅行の一週間が最長。母の友人などは、娘と一緒に温泉旅行をしたり、お買い物に行ったりしているらしいけれど、私はそういった意味での親孝行は全くしていない。(他の意味でも…) ムスコが予定日通りに生まれてくれれば、一週間近くは時間があるので、二人でお茶に行ったり買い物に行ったりすることもできるんだけどな、と思っている。 とはいえ、実家を出て自立したのは、かれこれ12年前。いきなり同じ屋根の下で5週間も、しかも観光もせずに一緒に過ごして大丈夫だろうか、という不安もある。何せ、趣味や嗜好の全く違う母娘なのだから… いい機会なので、母について思い出せることを書いておこうと思う。 私の現在の年齢よりも10才も若い時に最初の子、兄を出産し、当時は友人もほとんどいなかった嫁ぎ先の地で頑張って子育てに励んだ母。 ドイツの何とか博士の育児本を教科書にしていたらしく、それ通りにいかないことばかりでキリキリしていたと聞いた。その育児本のせいなのか、私の幼少の頃の母の記憶は、すごく厳しいこわい人。 「鬼ばばを書いてごらん」と言われたら、迷わず母の似顔絵を書いていたでしょう。ガミガミはもっぱら兄に向けられたもので、私は兄と同じことをしなければ被害に及ばないということを本能で学びとり、そつなく成長してしまった。それでも余計な一言が災いして、押入れに閉じ込められたりしたこともありましたが… 兄や私が祖母(母の母)に預けられる時は、必ずメモが添えられ、食べさせていいもの、だめな物、スケジュールなどが明記されていたらしい。祖母と仲の良い私は、祖母とお茶をすすったり、手芸をしながら、母の怖さについて語ったものです。 そんな母が変わったのは私が中学の頃。プツンと糸が切れたように干渉されなくなった。母曰く、「もう自分の責任」ということらしい。兄に関しては高校卒業するくらいまで干渉していたような記憶がある。 自分の中で子育てに終止符を打った後の母の行動が、私には理解に苦しむところです。私は10代の思春期真っ只中だったので、余計に引いた目で見ていたところもありますが、「鬼ばば」のようだった母が、妙にキャピキャピしたり、お友達とお出かけ~、とか言っているのをシラ~っとした目で見ていました。(嫌な娘だ) 私が10代後半から20代に入ったばかりの頃に、母と二人でスキー旅行に行ったり、温泉旅行に行った時、よく母の学生時代に行った旅行の話を聞かされたので、今思えば、あのキャピキャピは子育て前の自分、本来の自分に戻っていたということなのでしょうか。そうすると、子育て期間の母は、あまりにも必死だったんだなぁ、と感じてしまいます。 まあ、私の友人から言わせれば、キャピキャピも「若々しい」という言葉に置き換えられるので、それはそれでいいのでしょう。 私が「5週間、大丈夫かなぁ」と不安になる理由は、母の言動です。 こういったことは母親の本能なのでしょうか、母は私がカチンとくる一言を言うのが得意です。悪気のない一言の時もあれば、明らかに意図した発言もあり、相手が母となると、他の人から言われても気にならないことが、すご~くカチンときたりするのです。 もちろん、私もmonも両親が来ることをとっても楽しみにしているし、アメリカでは孤児夫婦な私たち、出来るだけ長く居てほしいと思うのも本音なのです。私は助けに来てもらう立場だけど、母にも楽しんでいって欲しいな、と思っています。
by monastyle
| 2010-01-16 00:15
| 生活
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