1月31日、午前1時40分、3,340gの元気な男子を出産しました。
陣痛から出産までが長い道のりで、初産ということを考慮しても長い22時間かかりました。 出産の数日前にたったの3時間で出産した(初産)経験のある韓国人の友人と電話で話していたので「私もあやかりたいわ〜」と思っていたのですが、そううまくはいかなかったです。 驚いたことに、母は私の出産を「難産だった」と日本の家族に報告していたようなのですが、私は「安産」だったと思います。立ち会っていた母やmonの方が、痛みでのたうち回る私を見ているのが辛かったのでしょう。でも時間が長かっただけで、出血が多かったり、赤子に臍の緒が巻き付いていた、といったような母子の健康に影響がある問題があったわけではないので、やっぱり安産だったと思います。 今までに読んだ出産の体験談と全く同じオチとなり、誕生したばかりのムスコを抱いた瞬間に全ての痛みが遠い過去のことのように思えました。ただそれだけのことなのですが、言葉で表現できない素敵な体験です。 1月30日 午前3時30分 陣痛が始まる。腹痛と同時に腰痛も。 1月30日 午前6時30分頃 助産婦さんと電話連絡:腰痛が既に出ているのが心配なので、腰痛緩和のストレッチをする指示を受ける。陣痛の間隔が10分から5分程度になるか、他に急激な変化が発生したら電話をするように言われる。食事は出来るだけ食べるようにして、寝れたら寝て体力を蓄えておくようにとのこと。 10分間隔の陣痛がなかなか短くならなかった。食欲はあまりなかったけれど、頑張ってヨーグルトやスープを食べた。 助産婦さんに指示されたストレッチをしたり、気分転換にシャワーを浴びたら、腰痛が少しよくなったような気がしたけれど、時間が経つにつれてひどくなってきた。気をまぎらわせるために、軽いコメディー映画を観たけれど、あまり効果なし。 1月30日 午後2時頃 助産婦さんから様子伺いの電話をもらう。この時点で、まだ8分間隔の陣痛。引き続き時間のチェックをして4~5分間隔で1分以上の陣痛が起きるようになったら電話をするように言われる。 この後から、陣痛の間隔が短くなっていった。腰痛が邪魔をして、陣痛がきていない時間も腰痛のために休息できなかったのがつらかった。 1月30日 午後3時頃 陣痛の時間は1分に満たないことが多いけれど、間隔が3~4分になってきたので助産婦さんに電話する。急激な変化がなければ、あと2時間自宅にいるように指示される。 「そんなにギリギリまで(その時はギリギリだと思っていた)待っていたら生まれちゃうんじゃない?」と不安になる。 痛みのせいか、吐き気をもよおしはじめる。そして嘔吐。妊娠中、一度も吐いたことがなかったのに最後の最後で意外な展開。後から助産婦さんから、分娩中によくあることだと言われる。 1月30日 午後4時20分 陣痛が3~4分間隔になり、だいたい1分程度の長さになったので助産婦さんに電話連絡。病院に向かうように指示を受ける。 この時初めて自宅出産したいと思った。この陣痛と腰痛の状態でタクシーに乗ってマンハッタンに行くのは考えただけでも辛い。この時点でも、もうすぐ生まれると思っていたのです。甘かったな〜。 土曜日の夕方、流しのタクシーをつかまえても誰もマンハッタンに行ってくれないので、急いで電話でタクシーを呼ぶ。 1月30日 午後5時頃 病院に到着。陣痛、腰痛、乗り物酔い(←車の運転を止めると発生する持病)のトリプルパンチで意識朦朧。エレベーターを出て助産婦さんと落ち合い分娩室に担ぎ込まれた時には安心したせいか、ほろほろ泣いていました。この時点で子宮口の開きは4cm。 1月30日 午後6時頃 助産婦さんに腰痛の痛み止めの注射を勧められる。麻酔ではなく、腰の辺りの皮膚の下に打つもので、最初は痛いけれど、すぐに痛みが緩和されるという説明を受ける。 陣痛の痛みは問題なく耐えられるのに対し、腰の方が痛みが強く、陣痛に集中できないと思ったので注射を打ってもらうことにした。(後から日本人の友人より、これは筋肉注射と呼ばれるものに違いないと教えてもらった) この注射、めちゃめちゃ痛かった。多分、2本同時に打たれたと思う。陣痛から出産の痛みの中で、一番痛かった出来事。確かに腰の痛みは緩和されたけれど、数時間しかもたなかった。(出産までは注射の後7時間近くかかった) 腰痛が緩和されたところで、分娩室の悪環境に気付く。今年、最も冷え込んだ日だというのに、分娩室の空調が故障していて、めちゃくちゃ寒かった。しかも私は裸に近い格好。バイタルチェックに来る看護婦さんでさえ「何この部屋、こごえそう!」ともらすほど。廊下の方が暖かかったらしい。皆さん、色々と頑張ってくれたらしいけれど、暖かくなったのは深夜に近かった気がする。 1月30日 午後7時頃 子宮口8cm。 9時頃には「随分と長いこと待っているので、そろそろイキんでもいい頃じゃないのかな?」と思い始め、血圧を計りに来た看護婦さんにそれとなく聞いてみる。(助産婦さんは助手さんと打ち合わせのため、分娩室から離れていた) 「あとどのくらいかしら?」 「子宮口の開き具合次第だから、あと15分程度かもしれないし、2時間かかるかもしれない。初産だから何とも言えないわね」 簡単にはいかないとみた。 子宮口を開かせるためには強い陣痛が効くとのこと。その為、歩くことを勧められる。分娩室内にあるトイレには数回行ったけれど、廊下に出て歩き回ることは出来なかった。 これ以上長引いて、陣痛が弱まってしまうことを懸念した助産婦さんから、破水させて様子をみることを提案される。破水させると陣痛が強まるので、子宮口が開くのに影響することが多いという。 陣痛が強まるということは、痛みが強くなるということ。その時点で吐き気がおさまらない状態だったので、破水はもう少し待ってもらうようにお願いした。 1月30日 午後11時頃 子宮口8cmで変化なし。助産婦さんの判断で破水させる。陣痛(痛み)が強まったのに期待していた効果は得られなかった。破水させて損した気分でした。痛み倍増なのに子宮口の開きに影響しないなんて! 1月30日 午後11時30分頃 痛みと疲労でギブアップ宣言。monと助産婦さんと話し合い、エピデュラル(無痛分娩の麻酔)を使用することにし、麻酔師を呼ぶ。 麻酔師が来たからといって、すぐに注射をしてくれるわけではなく、書類上の質問に答えなくてはならないのが辛いところ。 のたうち回っている私に「身長は?」「体重は?」と質問する麻酔師。 monがキレて「カルテが読めないのか?」って怒鳴っていたような記憶がある。 そんなやり取りの最中、子宮口のチェックをしていた助産婦さんが「開き始めた!」と叫ぶ。 そして「まだ頑張れる?」と私に聞いた。 うかつにも「大丈夫」と言ってしまった私。その後2時間もイキまなくてはならないと知っていたら麻酔師を追い出したりしなかったのになぁ。(麻酔師さん、すみませんでした) 1月31日 午前1時40分 子宮口がやっと10cm開いてイキみだしてから2時間後、ムスコを誕生させることができました。 この2時間は修羅場という言葉がぴったり。 「あと一息!頑張って!」という言葉を2時間聞き続けていた気がする。 「まだ出てこないの〜?」って何回叫んだことやら。 でもね、ムスコとの対面の喜びは、↑の記録の全てがどうってことのないことのように感じさせてしまうのです。出産は、思い描いていたものよりも100倍大変だった(monの感想)けれど、そんなこともすぐに忘れてしまうんだろうな、と思います。長時間、励まし続けてくれたmonや母、信頼できる助産婦さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
by monastyle
| 2010-02-17 15:03
| 生活
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